バイオグラフィー

子供時代からデビュー当時まで

小学校入学時の一葉(ちょっとピンボケ)
無垢で無防備なボーとした子供であった

井の頭公園での一葉
春のピクニック
ぼくは、小学校4,5年生であろうか
うしろ向きの幼女は、妹の貴子

明治学院高校白金校の学食でコロッケパンを食す。
この学食では、カツ丼とこのコロッケパンしか食べなかった。あとは、あまりの味の低さで、、、。

ぼくが好きだった久ヶ原の実家の玄関前で
高校1,2年の頃
もうイッパシのアイビー少年だ
もちろんメーカーはVAN Jacketのもの。

その実家の縁側でテスコのギターをかきならす
ぼくの視線の向こうは死んだおやじがいるのだが
おやじは、苦虫をつぶしたような顔でみていたのを今でも覚えている。

高校の3年生 毎年夏は、千葉の勝山に行っていた
友達のおやじがそこの教授でその寮のバンガローを借りていたわけだ
勝山に向かう船上でそのころTV-CMではやっていた
水虫薬ポリックの足を友達と披露している。
ちなみに右から4人は(ぼくの後ろには、帽子をかぶったその教授の息子がいる)高校1年生の時に作ったバンド"BEAMS"のメンバー
本当は、あともう1人リードギターがいるのだがこのときはカメラを持っていたのか?

明治学院高校二年の時の文化祭での一葉。ドラム以外の三人は、クラスで三バカトリオと言われ、学校は遅刻してくるわ、タバコを吸って補導されるわという実に高校生らしい生徒だった。ぼくは右から二番目。
この時はChet Atkinsの"Bleu Tango"なぞという渋いインストゥメンタルものをやっていた。ちなみにドラムの奴にはじめてジャズのアルバムを借りた。それはDave Bluebeckのライブ盤だった。

デビューしたての頃(1973か74年)
日比谷野外音楽堂でのひとこま。そのライブがどんなものであったか覚えていないが、鈴木茂と細野さんはいたから『風都市』関係のライブであったかも知れない。ぼくはガールフレンドのシャツを借りて、ステージで"Sail away","Daton Ohio 1903"などを歌った。
お金はぜんぜん無かったが、髪を風になびかせてタバコをプカプカ、夢だけは人一倍持ってたな。

1977年の夏 くじらを救おうコンサート(晴海にて)
このライブにはSTUFFが初来日。他にもいろんなアーティストが来日したが忘れた。
それよりも、この写真に写っているジョン・セバスチャンにあえたのがぼくとしては一番うれしかった。
高校の時、ラビン・スプーンフルの"サマー・イン・ザ・シティ"を聞き、それ以来ずっとファンだといったらセバスチャンもよろこんでいた。
水牛のような頭をしているのが南、最近これを見た友達は一言「青い」

後列左から、ブレバタ岩沢幸也、南佳孝、安部次郎、ジョン・セバスチャン、桑名正博、六川正彦、土屋潔、田山勝美  前列左から、ボッシ、ブレバタ岩沢二弓